自己紹介

私の半生(1) 工業高校に進学し後悔

もう少し詳しく、私、ライオネルが今までどのような人生を送ってきたかを書かせて頂きたいと思います。

私は富山県に生まれ、幼稚園から小学校、中学校、高校、大学まで全て富山県内の学校に進学しました。

中学校まではそこそこ順調に来ていたと思います。しかし、地元の工業高校に進学したときに正直「失敗したな・・・」と思いました。私の通っていた工業高校は学科ごとにクラスが分かれていたのですが(機械科とか建築科といった感じです)クラスメイトは完全に固定で3年間クラス替えなしでした。

そして入学してから気づいたのですが、工業高校というものは男女別の割合で男性が圧倒的に多いのです。今思えば調べれば分かることだったと思うのですが、当時中学生の私は担任の先生に勧められるがままに工業高校に進学してしまいました。

特に女の子が好き!という訳でもなかったのですが、それでも身近に女子生徒が全然いないというのはかなり辛かったですね、面白みがないというか。

他の高校の普通科に通っている友達のことを羨ましく思ったりもしました。

工業高校では、溶接や製図、旋盤やフライス盤と呼ばれる工業用機械を使い、鉄を削りボルトを作成したりしていました。

一週間の授業のカリキュラムに実習の項目があり、実習の時は実習服と呼ばれる作業用の服に着替えて、大型の機械が並ぶ実習用の教室に移動するのですが、それがたまらなく嫌でした。
実習用の教室は、鉄と油の匂いがしていました。

実習の前に、実習の内容について黒板を使って説明する時間があるのですが、入学して半年ほど経った時に、その時間に教室の外を眺めて「まだ後2年半もこんな生活が続くのか・・・」と悲観的になったのを覚えています。

工業高校での生活は、正直自分には全然合いませんでした。

やっているうちに「モノづくりって面白いな!」と思うことが出来ればよかったのですが・・・。
そんなこともなくほとんどなく・・・。

部活動は野球部に所属していました。(一応小学校5年生から野球はやっていました。)
元々野球は好きだったのですが、それほど上手いというわけでもなく、自分なりに頑張ったのですが、ずっと補欠でしたね。

それでも野球部のメンバーとは仲が結構良くて今でもたまに飲み会もあります。

でも部活以外の学校生活はほとんど苦痛でしたね。
クラスの担任の先生ともあまり仲良くなかったですし。
(しかもクラス替えがないので、担任の先生も3年間同じ人な訳です。)

実習の授業でキーンと高い音と火花を出しながら鉄を削り続け、本当に憂鬱な気持ちになっていました。

「高校辞めてー」と思いながら・・・、3年間通い続けました。

高校を卒業した後は、なんとか地元の4年制の大学に進学できたのでした。