忍者と極道 感想

忍者と極道 番外編 「LOVE SONG」そして単行本5巻の表紙と裏表紙の物語の感想と考察

今日も忍者と極道の感想を書いていきたいと思います!

今回は番外編で少し短いので番外編にプラスして新しく発売された単行本の5巻の表紙と裏表紙に書かれたストーリーについても考察していきたいと思います。

ネタバレありです!

よろしくお願いします!

番外編 「LOVE SONG」

ガムテの家を訪れる舞踏鳥(プリマ)。

インターホンを押しますが反応がありません。

それでも「どうせあの子鍵かけないし」とおかまいなく家の中に入っていきます。

そしてソファーに座ったままのガムテの母の遺体に
「お邪魔します」と声をかけます。

(家に母親〈ママ〉がいるのに鍵かけて外に出る子供はいない)

そう心の中で呟きながら「こんにちは」と挨拶する舞踏鳥。

(返事はない ただの屍だもの)

ここはドラクエの有名な台詞のパロディですね。

そしてガムテの母親に自身がガムテに「ママみたい」とよく言われていることを話します。

ママと言い間違えられたり、おっぱいを求められたり私ってママっぽい?そう語りかけるように話します。
(舞踏鳥、胸がないことを気にしてるんでしょうか?)

しかし急に口調が変わり

「冗談じゃないわ 私は母親(あなた)じゃない」
「母親(あなた)みたいじゃなく…私は…私はガムテのーーー」

と言ったところで

「アホくさ さっさとガムテに夕飯作って帰ろ…」

と台所に向かって歩き出す舞踏鳥。

そこで写真立ての中に入っている1枚の写真に気付き

「…本当 冗談じゃないわ」

舞踏鳥が料理を始めると帰ってきたガムテ。

「ママッ!!!」

「お帰りなさい……ガムテ」

写真の中の幼きガムテを抱くガムテの母親は、舞踏鳥と髪の色が違うだけで
舞踏鳥そっくりなのでした。

「LOVE SONG」感想

今回の番外編は時系列的に第42話「ガラスのブルース」の直前の話ですね。

忍者と極道の一話ごとのタイトルは、アーティストの曲のタイトルになっているときがあります。

例えば42話のガラスのブルースや今回の一つ前の50話の天体観測など
BUMP OF CHICKENの曲名が使われています。

でも今回のタイトルの「LOVE SONG」はBUMP OF CHICKENの曲には
無いんですよね。

どのアーティストの曲なんでしょう?

そして舞踏鳥はガムテのことをどう思っているんでしょう?

ガムテに対してあるのは恋愛感情か?尊敬か?崇拝か?

そのあたりはまだ分かりませんね。

単行本5巻の表紙、裏表紙

次に単行本のカバーを取った際に書いてある表紙と裏表紙のストーリーに目を向けたいと思います。

この部分は忍者と極道の物語に深く関わる情報が隠されています。

Wikipedia風だったり、写真週刊誌風だったりするのですが、今回は
note風です。(notoと書いてあります。)

書いているのは師水ジョーンズ

「フラッシュ☆プリンセス」のシリーズディレクターを務めた人ですね。

幡随院孤屠の幻の処女作、「友は爆炎の果てに」について語っています。

この小説の舞台は1944年、第2次世界大戦中の東京。

主人公は歌藤砕吾(かとうさいご)という身長2メートルを超える14歳の
少年。昼は学生として生活し、夜は東京の治安を守る自警団のような活動をしていました。

そして彼は一人の男と出会い、友となります。

砕吾とは真逆の小柄で華奢な美少年。名前を喜田壱(よしだはじめ)
歳は砕吾よりひとつ上の15歳。

しかしこの壱は東京の極道をまとめ上げる裏社会の貴公子でした。

つまり砕吾と壱は敵同士だったわけです。

二人は愛読する時代小説について語り合いながら親交を深めていきます。

お互いに他人とは思えぬ奇妙な絆を感じながら。

そしてお互いの正体に気付かぬまま、砕吾は極道を成敗し続け、壱は自警団への復讐を固く誓います。

そこで壱が考えた策というのが戦時中であるにも関わらず、米軍関係者から最新鋭の銃器を買い付け東京大空襲の当日、民衆救助に奔走する自警団を民衆ごと襲撃するというものでした。

劣勢だった状況から自警団を次々と殺害していく極道。

そんな中、極道を無我夢中で殺していた砕吾は東京駅にたどり着きます。

そこは砕吾と壱が初めて出会った場所でした。

そしてその場所で初めて二人は自分達が敵同士であることに気付くのです。

そして始まる二人の壮絶な殺し合い。

闘いながらこれまで育んだ友情を思い出す二人。

結末は相討ちでした。

砕吾は壱の銃弾によって蜂の巣になりながらも豪腕で壱を抱きしめ
その圧力で殺します。

砕吾は首だけになった壱を胸に抱きながら息絶えるのでした。

二人の男達の死に顔は、友であった頃のように安らかだった。

これが「友は爆炎の果てに」のあらすじであると。

師水ジョーンズはこの作品に対し「フラッシュ☆プリンセス」と比べるとあまりに救いのない、悲劇の友情であると語っています。

幡随院孤屠もこの作品には悔いが多かったようで
「あの二人にはもっとうまくやってあげたかった」と、悲しそうな顔で語っていたと書いています。

しかしこの作品があったから「フラッシュ☆プリンセス!」という作品のあの結末が生まれた。

それは間違いのない事実だと語るジョーンズ。

「フラッシュ☆プリンセス」最終回放送を終えてしばらく経って幡随院孤屠と再会した際、ジョーンズは「最高の結末だったよ」と伝えます。
しかし幡随院は
「正直言うと、もっと良い結末があるかもしれないと思っています」と
答えます。

”終焉の脚本家”幡随院孤屠、その飽くなき探究心の行く果てを観たかった。

このnotoはそういった一文で締めくくられています。

考察

時代背景としては外伝の「獅子の華」の時代とほぼ一緒ですよね。

友情を感じながら闘うというのも壊爺と獅門の関係に似ています。

ただ、壱は極道ですが砕吾は自警団的な組織の一員と書かれており忍者とは書かれていないんですよね。

ここが少し気になります。

あと歌藤砕吾と喜田壱。この二人の名前も気になりますね。

忍者と極道では登場人物の名前も今後の展開を推測する重要な部分だと思っています。

しかしこの二人の名前なんですが割と珍しい名前だと思うのですが、調べてみても今のところどのようなヒントが隠されているのか全く分かりません。

もしかしたらプリキュアシリーズに出てくる名前をもじった者かもしれないんですけど(愛多総理達みたいに)

今のところそれも分からないですね。

あとやはり最大の気になるポイントは

この二人の戦いが実際に起こったことなのだろうか?ということです。

普通に考えたら幡随院孤屠が生まれる前の話になると思うのですが、
幡随院孤屠、何百年も前から生きてる説がありますので、この件も
幡随院が裏で糸を引いていた可能性も当然あります。

それと師水ジョーンズがこの作品を読むことになった理由が

「当時企画中だった作品が、たまたま関係者が数人自殺したせいで頓挫して暇を持て余していたから」

と書いていますがこの自殺すら偶然のことなのか?、そう疑ってしまいます。

いずれにせよ、もしこの砕吾と壱の闘いが本当にあったことだとしたら本編の方に何かしらの形で描かれる可能性は高いと思いますのでそのあたりにも注目していきたいと思います!